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十方山・細見谷をクマの聖域に

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西中国山地では、おおむね標高800mくらいを境に、それより標高の高い深山で暮らすツキノワグマと、それより下で暮らす人々との住み分けができていた。それが近年になって、クマの生息域は急速に拡大し、2016年(平成28)には、とうとう里山どころか市街地にまで出没するようになっている。

「(クマ生息域拡大の)主な原因は、個体数の増加にあるのではなく、むしろかつてあったような生産性豊かな落葉広葉樹林(渓流も含む)の減少と生産性の低下が急速に進行したことによる」と考えられる。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』豊原源太郎p.28)

クマと人との接触をできるだけ避けるためには、人里に下りてきたクマを山に追い返すだけではなく、クマ本来の生息域を落葉広葉樹で覆われた元の深い森に戻してやることが大切である。生物多様性に富んだクマの聖域を作ることは、クマのみならず、ヒトにとっても欠かせない環境作りの一環となる。

ところで、クマは何を食べて生きているのであろうか。

ツキノワグマは何を食べているのか

広島フィールドミュージアム(金井塚務会長)では、2002年10月の予備調査(翌月本格調査開始)以来、細見谷に週1回のペースで通い、ツキノワグマをはじめとする哺乳類の調査活動を継続している。

そうした中で、クマの季節ごと食餌メニューについて書かれた文章があるので紹介してみよう。同ミュージアム副会長の杉島洋さんが、中国新聞「日曜エッセー」欄に、「クマのすめる森づくり」と題して書いた文章の一部である。(中国新聞2008年2月10日付け)

「クマの食餌メニューは多彩だ。春、ブナの新芽。五月、オタカラコウ、シシウドといった野草。六月、ササの若芽。カラマツの樹皮をはぎ、樹液をなめる。夏にかけ、サクラの実を求めて木に登り、倒木をひっくり返してアリやその卵を食べる。樹洞にスズメバチ、ミツバチの巣を探す。秋、クリやドングリの枝を折り取りながら、実をむさぼり、サルナシなどツル植物の実りも大量に食する」。(以上、「」内引用)

ドングリなどの堅果類やサルナシなどの液果類の他に、アリやハチなども食べており、一年を通してみると、実に多彩な食餌メニューとなっていることがわかる。生息環境が多彩である(生物多様性が高い)ほど、クマにとって暮らしやすい環境だと言えるだろう。

落葉広葉樹の豊かな森は、クマの楽園

環境庁の成果物の一つである「動物分布調査報告書[哺乳類](昭和56年/全国版その2)」をみると、「地方別のツキノワグマの分布は,一見して,本州,四国および九州における落葉広葉樹林の水平的分布とよく一致したものになっている」として、次のように述べている。

「地方別にみると1kmメッシュ総区画数に占めるブナ帯区画数およびツキノワグマ生息区画数の割合は同一傾向を示し,ブナ帯区画率の順と生息区画率のそれとは同一となっている。このことは両者の間に正の相関関係が成立することを示唆するものである。(中略)これにより,概して東日本で濃く西日本で薄いツキノワグマの分布のパターンが植生から説明することができる」。(以上、「」内引用)

田中幾太郎さんがいつも語るのは、西中国山地には、猟師すら近づかないほどの深い深い森があり、その豊かな森ではツキノワグマが人知れず暮らしていた、という事実である。

そのようなブナを始めとする落葉広葉樹の森は、林道開通とチェーンソーや架線(ケーブル)の導入であっという間に伐採されてしまい、その後の拡大造林で植えられたスギ・ヒノキは、林業環境の激変の中で、手付かずの状態のまま荒れるにまかされている。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』田中幾太郎pp.49-52)

落葉広葉樹の豊かな森は、豊かな水源ともなる

クマが安心して生息できる落葉広葉樹の豊かな森は、豊かな水源ともなる。ヒトの生存にとっても欠かせないものである。しかしながら、細見谷渓畔林は、細見谷川の両側に100~200m幅くらいしか残っていない。山頂部にかけて標高差300~400mの両側斜面は、スギを主とする人工林となっており、今や何の手入れもされず放置されている。

しかし、打つ手はまだある。そこはほとんど国有林であり、水源かん養保安林に指定されている。

細見谷は、太田川源流域の一つでもある。その太田川を主な水源とする広島の水道水はうまい、と他県の人によく言われる。渓畔林の優れた水質浄化能力は、太田川の水質を高めるのに役立っている。

また、広島特産カキの養殖もこのような水源なくしては成り立たない。山が荒れれば川や海が荒れる。川や海を育てるには、豊かな森づくりから始める必要がある。

「水源涵養機能の強化ということからすると、速やかにもとの自然林・落葉広葉樹林に戻すべきです。自然林に戻すには、当面強間伐して針広混交林にしてしまえば、あとは何をする必要もありません。間伐は可能な場所では伐り倒しにすれば、コスト面でも有利です」。(『細見谷と十方山林道(2002年版)』中根周歩p.59)。

ツキノワグマは魚食するか

金井塚務は、ロクロ沢(細見谷川支流)において、ツキノワグマが魚食する証拠を発見(2004年11月)している。対象となったのは、ゴギ(サケ科イワナ属イワナの地方型)である。ツキノワグマが魚食することの意義について、金井塚は次のように説明している。

「西中国山地でのツキノワグマの魚食に関しては、これまでもクマ猟を生業としていた猟師たちの間で知られた行動であったという(田中幾太郎1995)。ツキノワグマがサケ科渓流魚を常食として冬眠に備えるということになれば、知床半島のヒグマ同様、細見谷渓畔林での高密度での生息が可能になる」。(『細見谷と十方山林道(2006年版)』金井塚務p.21)

細見谷を元の全山落葉広葉樹で覆われた深い森に返すことができれば、ゴギをはじめとする渓流魚の数も元どおりに増えるかもしれない。そしてそのとき、クマがサケ科の渓流魚(動物性たんぱく質)を食べるとするならば、より多くのクマが細見谷で暮らしていくことができるだろう。もちろん、わざわざ里山へ出ていく必要はなくなる。

金井塚は、動物質の捕食習性に関して、次のようにも述べている。

「2004年の秋のような極端な凶作時には、タヌキやイノシシ・ノウサギといったほ乳類を狩ったりあるいは死体を食べたりということもあることが伺える。こうした動物質の捕食習性に関しては今後、解明すべき大きな課題である」(同上P.21)。

細見谷をクマの聖域に!

ヒトとクマの接触事故を防ぐために、人里に近づくクマに関するクマ警報を発することは、確かに大切なことである。カキもぎ隊の活動のように、クマを人里に近づけない工夫も必要だろう。しかしながら、最も大切なことは、クマが人里に近づかなくても暮らしてゆける環境を整えてやることである。というよりも、そうした環境を取り戻してやることが大切となる。

古老たちが口々に語っているように、細見谷には昔、といってもほんの数十年前までは、ブナをはじめ全山落葉広葉樹で覆われた深い森があった(『広島のブナ林』pp.114-121)。クマが生き延びていくためには、そうした環境が不可欠である。そして、そのような環境なくしてヒトの生存もあり得ないことはいうまでもない。

注:このページは、電子書籍『細見谷渓畔林と十方山林道』アマゾンKindle版(2017年3月6日)の一部です。

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